房総里山芸術祭いちはらアート×ミックス2020+
「conjunctionー名詞から接続詞へー」
(白鳥保育所/千葉)
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2021年11月19日(金)~ 2021年12月26日(日)
白鳥保育所 / 千葉
「conjunctionー名詞から接続詞へー」
現代において人間は居場所への欠落感を抱えている。
例えば、家族、友人仲間、学校、会社、病院、政党、村や都市、群集や公衆、国家、多様に居場所がある中で、この世に居場所がないと感じてしまう人が存在している。そこに属していること自体が閉塞感を生み出したり、手放すことへの不安や恐怖の対象になる。在るからこそ、欠落感を感じる場合もある。居場所がないと感じ、外からの侵入を危惧し、不安に苛まれている人は、この世との関わりを断ち切り、部屋から窓 / ディスプレイを通して外を眺め、窓から雨風が侵入する事を防ぐように外とのつながりを自制する。そして、自閉することができない人は、この世の中で居場所の欠落感を抱え、不安に苛まれながら生きていかなくてはならない。
人間は文明の発達によって、様々な周囲のものとの関係が切り離されてしまっている。その場所にいる感覚が薄れてしまっていたり、自然への遮断が強くなってしまっているように感じる。他方で、家と家、人と人との物理的な距離感の急激な近さ - 遠さに不安を抱える。自然を遮断して急激に過密化する都市の状況を見ると、個人の存在を保つことのできて急激に過密化する都市の状況を見ると、個人の存在を保つことのできる密かな自閉の場というものさえも失われている様に感じる。本作では そういった考察の元、既存の空間を環境として設定し、内部 / 閉じた空間と外部 / 世界を遮断する窓を、むしろ双方に繋げるものとして扱いながら、人間(鑑賞者)と自然と生き物が一体となり、身体を取り巻き支える居場所をつくりたい。窓は、空気のもつ気配や、外部からの侵入〈風、虫〉などを遮るが、光や視線は透過する膜のような働きをもち、これによって人間は自然を一方的に見る対象として捉えることとなった。窓は遮断する特質を持ちながらも光を内部に取り入れたり、私とあなたのいる別々の空間の塊に通過路を持たせる。それは外界と繋がり、他者と結ばれる入り口ともなる。部屋の窓を開口することで、内部から外部へと延長し、繋がったものとする。そして、外の無数の植物と人工物である絵具が一つに絡まり合う世界として無秩序に交差していく。組み上がった木々は、窓とは逆の働き、つまり鑑賞者同士の視線は遮るが、それぞれの気配は留め残している。そこには、不安や恐怖の発生源となる完全に外と断絶をした自閉空間はない。木々の空間は、周囲の気配を感じさせるように地面や壁を這って空間を満たしている。人の気配が穏やかに漂う中、そこに身を浸すことで、周囲の環境との緩やかなつながりを回復する。自然や環境と対話できたときに感じる安寧のように。全面的に見放されてはいない、たしかに生きていて良い、と感じさせてくれる何ものかが生じているのではないだろうか。
こうした時代の中で私は、既存の空間を展示空間ではなく一つの環境として扱う。窓は、内部と外部を遮断しかつ繋げる装置として、展示空間を拒むファクターとなる。